江村です。粗茶が入りました。


by natsuki_emura
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残暑が厳しいですね。

皆さん体調に気をつけて残暑をしのぎましょう。

ぼくはいま作曲中で、その関連項目はサイトのほうに書いたから、こっちに続きを書くのはめんどうです。サイトのほうを読んでください。

というわけで、明日から9月だねっ!
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# by natsuki_emura | 2012-08-31 22:26
言葉づらにこだわれば、山田咲さんが言っている「物語」と、高橋牧さんが使っている「物語」は、意味が違う。映像作家の山田さんが拙宅に遊びに来て、しゃべっていたのは、単なるストーリー展開ということのつまらなさ、みたいなことだった。ああそうですかで終わってしまうようなストーリーを描いてもばかみたい、というような会話を交わしました。現在、「物語」は成り立ちにくいし、努力して成り立たせたから、それがなんだ、という、創る本人の素直で白けた自己批評をどうするか。

その意味で、山田咲さんは「物語」に懐疑的というわけだが、アコーディオン奏者の高橋牧さんが江村夏樹のキーワードとして「物語」と言っているのは、さっき書いた「単なるストーリー展開」ということではないだろう。メタ物語、なんていうと、言葉のやかましい使い方になるが、要は、起承転結の羅列にとどまらず、それ以上のものまで含んで、高橋牧さんは「物語」と言っているんだと思う。不可解な要素まで入ってくるのではないだろうか。その意味で、山田咲さんが否定的に使っている「物語」という日本語とは、指している場所が違うと思われる。

二人とも、意味する方向は同じだということになる。だから「物語」という言葉づらに拘泥しないで、ぼくなら「おはなし」という言葉を使うから、そのあたりをつかまえたほうがいいだろう。
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# by natsuki_emura | 2012-07-26 11:39

何もしていない時間

今日の夕方4時から6時半まで、自宅で時間が空きました。
朝起きるのが早すぎて眠かったので、この2時間半はベッドでごろごろしていました。
久しぶりに、何もしていない時間を過ごしました。

ここでアップロードしますが、書き加えるかもしれません。
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# by natsuki_emura | 2012-07-11 18:36

あとかたづけ

今月18日月曜日に自分のコンサートを終えて、いろいろ収穫だったが、その後今日まで、後片付けが大変だった。イギリスにこのコンサートの記録映像を観たい人がいるので、DVDを準備している時間が長かったんだけど、業務用機材は持ってないし、映像のプロでもない。家庭用機材で簡単な編集をやろうと思っても機材が器用に働いてくれなくて、同じことをやりなおす時間がかなり長かった。プロじゃないから、この程度の出来でご勘弁願いたいという言い訳ができるようなものですが、それでもいちおう形にしないとばつが悪い。だいぶ苦肉の策であった。

実演と違って、映像はヴァーチャルな性質がある。「そう見えればいい」という性質のことです。裏で何してるか、種を明かせばずいぶんインチキなことをやっていても、DVDに焼いてテレビの画面に映ったその像に不自然さがなければ、それでいいわけですよ。このヴァーチャルな性質をめぐって、この10日ほど、いろいろ考えるところがあった。詳細は明日にでもサイトのほうに書こうと思います。テクノロジーの恩恵などと夢のようなことは言っていられなかったよと、この場を借りてこっそり白状しておきます。

食品だったら、製造過程で変なことをしたら消費者が食中毒を起こす、というような事情がある。映像メディアだからいいかげんに作っていいということにはならないが、「絵に描いた餅」だから、許してもらうことにしよう。このほかに、ちょっと論議や考察を要するような思いつきを今後どう展開するか、考える、というような後片付けも含まれている。少し時間がたたないと言語化できない、あるいは、よく考えて書かないと内容が伝わらない、というアイデアが浮上してきた。コンサートをやってみてどうだったか、ということだが、このブログには収まりきらないので、サイトに掲載しようと思います。
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# by natsuki_emura | 2012-06-29 23:31

肉声

2005年までは、メモをとったり、自分のサイトに書いたりすることが、目下作業中の作曲やピアノの練習の手段や手掛かりでした。さっきそのころのメモを読み返していました。メモをそのままサイトに掲載することが多かった。身のまわりの関心事を書くことで、自分の成り立ちを確認しているようなことだったと思う。書きながら遊んでもいた。馬鹿ッ話を書き散らすことは気分転換でもあった。

ぼくは携帯電話を持っていないから、ミクシーに誘われてもアカウントが作れなかった。現在は誰でもツイッターやフェイスブックにその日の出来事や、自分の興味関心をごくふつうに書いて、ネット上で友達同士が交流している。それが日常の一部になった。

いま書いているこれはブログに載せるんだけど、もうブログは古いメディアになったのかな。ウェブサイトに載せるアーカイブとなると、かなり本腰を入れて作成した文章や写真ということになってきているようだ。少なくとも、携帯電話などから気軽にアップロードするようなものでは、ありまひぇんえ(ちょっと書いてみたかったんです。気が狂ったわけではありまひぇんえ。)

まー、あんまりむつかしく論じるつもりはないけどね、ざっくり言ってしまうと、ぼくは肉声、人間の声、手書きの文字が好きですよ。メールは便利だから使うけれど、その人のいびきもけっこうですが、その人の息吹が感じ取れる生きた現実がいい。テクノロジーが、その生きた現実をどの程度伝えることができるかというのは、論すれば長くなるだろうから、論じなければ長くならないだろうから、とくに論じようという熱意もないので止しておきます。

しかし、何か言いたいことがあるようだが、どうも言葉にならんなあというもどかしさは、去年の大地震と無関係ではないような気がする。機が熟したら、新たな展望が開けるのではないかしら。どうもそんな気がするんですが、どうでしょうね。
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# by natsuki_emura | 2012-05-31 23:32