江村です。粗茶が入りました。


by natsuki_emura
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覚え書。

だいぶ前、衛星FMの音楽番組に出演して「江村夏樹特集」を2時間やってもらったとき、ぼくが弾くモーツァルトなんか流さないで、江村夏樹作品集でいきましょうよと、DJの大里俊晴さんが提案した。

(ぼくが弾いたピアノ演奏で、あのとき放送したのは、クセナキスの『ヘルマ』など、現代曲ばかりだった。)

大里さんが言うのは、要するに、古典曲よりぼくの曲のほうがおもしろいということで、おもしろいものをオンエアしたほうが聴取者が喜ぶよ、ということだった。

あれは江村夏樹の特番だったから、特殊なケースだと、ずっと思っていた。

だが、モーツァルトに限らず、現代音楽のファンや専門家は、古典曲に興味なんかない。新しい作品のほうが新鮮で、受け入れられやすいというのは確かだと思う。

江村さんは作曲が本業で、ピアノも弾けるからピアノコンサートをやるんでしょ、という意見をたびたびいただきます。もっと直裁に、ピアニストとしてのぼくには、古典曲より現代曲のほうが向いている、と言ってくる友達もいる。

それは、そうにはちがいない。本人も自覚していること。古典曲を弾いて、どういうアプローチができるか試したかった。その場合、技術的にほころびはあっても、おもしろい演奏をしようと心がけてきた。

その試みはある程度、成功だったと思う。だけど、お客さんの興味が古典曲じゃないのでは仕方がない。

ピアニスト本人の意気込みで、古典曲を自分なりのアプローチの仕方で弾くというのは試行であり、実験だ。何回かそういうコンサートをやったあとで、冷静になって、やっぱり古典曲より新曲のほうがおもしろい、ということになったら、今まで親しんできた古典曲、こういう弾き方もあると、自分なりの演奏技術で披露してきた古典音楽の位置づけは、どうなるのか。

さしあたりの用意は、もちろん、弾き手であるぼくが受け入れられる古典曲を弾く、ということで、お客さんに媚びて、寄りかかることは、いいことではない。つまり、従来どおりでいいということになる。

にもかかわらず、古典曲を弾くとき、選曲には慎重になるなあ。
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by natsuki_emura | 2009-09-23 22:45
仰々しいタイトルでごめんなさいね。(と書いてみたかった。)

ふらっと散歩に出るのが好きだ。時間帯は、最近は夕方の1時間ほどです。

そういえば、っていうかんじで今日、気がついたんですけれどね、散歩中、感覚器がいろんなものを見たり聞いたり嗅いだり、感じたりしてるわけです。でも、それが何であるか、いちいち名前を確認してるわけではない。

「空」「家」「電車」というような、非常に大雑把なカテゴリーで、いちおう納得してるようなものもある。ぼくが好きなのは「緑」だが、これは樹木のこと。でも、アレはなんという名前の樹木なのかという知識がほとんどなく、「潅木」以外の植物は「花」か「木」かどちらか、というように、学的にも常識的にもひどくいいかげんな命名で、べつに困ることがないから、それ以上「粘っこく突っ込んで」調べる気がない。

どうして調べないか。いちおう理由がある。何の気なしにぶらぶら散歩するのが健康にとてもいいと、だいぶ前、新聞か何かで読んだ。だからふらっと外に出てみている次第で、道中、とくに興味を持ったものでもなければ、図鑑や辞書やその他専門書に当たるのはめんどくさい。

一般住宅のガレージの前に広げているのは「檻」ではない。どちらかというと「柵」なんだという、よく考えれば間が抜けた気付きにいたるまでには、かなり長い時間の経過がある。湯川秀樹先生がご存命なら、もののまわりがよく見えるというのは、とてもおもしろいことなんです、と言ってもらえるのかもしれない。勉強しに出かけるわけでもないのだから、怠けている。

これはブログに書ける!などと思いながら散歩を続けていたら、眠気がさしてきました。
眠いまま、帰途に着きました。
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by natsuki_emura | 2009-09-11 19:59

落ち着かない人たち。

昨晩、近所の映画館のレイトショーで、リチャード・ギアというひとが主演を務める『HACHI』という評判の映画を観た。
映画そのものの批評はここではやりません。観にいってよかったな、ということだけ書いておきます。

レイトショーは夜8時15分からで、立ち食い蕎麦屋でとろろうどんを食べてから観にいくことにしたのだが、その立ち食い蕎麦屋の券売機のまえで起こったできごと。

券売機に千円札がうまく入らないので苦心していると、背後に気配を感じた。背中の左側のほうに人がいるようだ。首を振り向くと、黒の背広を着た30代とみえる会社員風の男性が、携帯電話を操作している。

いま、書いてみて思っているんですが、それだけのことなんである。だが、この会社員風のお兄さんの立ち姿が、どうしてだかわからないけれど、ぼくを落ち着かせない。すぐ後ろに立っているからか。なんか、このひと、体の重心が右か左か、どっちかに傾いているような気もするが、ぼくの思い違いかもしれない。片手で携帯電話を操作しながら、夢中になっている様子で、外界のことを忘れているように見える。そのため、人通りの多い通路のど真ん中に突っ立って、あたりを気にする様子もない。その愚鈍さが、ぼくの気に食わなかったのか。いや、べつに誰が立っていようがかまいません。気になるのは、この人はどこか落ち着かないのである。どこが?よくわからない。とにかく、その人影がどこか落ち着かない。

落ち着かない人の例をもうひとつ。これは映画鑑賞中のこと。ぼくの席はF17だったのだが、すぐ前の席、E16とE17に、ばかでかいポップコーンの紙バケツをはさんで、女性の2人組が座っていた。この2人がひそひそ耳打ちをし合う。映画が始まったら、耳打ちは止んだんだけど、なんだろ、2人の「そのへん」が、どうしてか落ち着かない(笑)。何が落ち着かないか、突き止められない。

こういうのって、気にし始めたらまとわりつくもので、ばっさばっさと振り払って、べつに、どの人も周囲に危害を加えているわけではないから、妥協してかき回して消して対策しましたけどね。
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by natsuki_emura | 2009-09-10 20:31

うま、そうだ。

最近はほとんどテレビを見ないが、2000年に入ったころは、グルメ番組とドラマをときどき見ていた。

近頃は、もう、金融危機の時代にグルメ番組もくそもないようなもので、それでも巷では、またラーメンブームを企てようとしているらしい。カレーブームは、ラーメンほど庶民に浸透しなかったように見える。

滝田栄という舞台俳優が、一時期、グルメ番組の司会をやっていたことがある。よく覚えているのはなぜかと言うと、この人の本領は、ぼくは観たことはないけれどシェイクスピアだそうで、グルメ番組の進行役は、いかにもそぐわなかった。その初期には、ゲストの脇に立って「うま、そうだ」「うま、そうだ」ばかり連発していたのは、台本には何も書いてなくて、アドリブはできないし、「まずそうだ」でもないから、「うまそうだ」だったのだろうと思う。

そういうどうでもいい特徴でよく覚えているんですが、滝田氏も、毎回「うまそうだ」では視聴者が飽きると思ったのか、だんだん、コメントを工夫するようになった。一口、料理を口に運んで、一瞬、間があり、おもむろに、
「ん~、なにかこう、じゅわっと口のなかでとろけるような、それでいてしっかりした歯ごたえがあって」
かなんか、何でもかまわないけれど、とにかくその苦しまぎれのコメントが可笑しくて、毎週、この番組を、案外楽しみにしていた記憶がある。

だが、ぼくの記憶に鮮明なのは、その苦しまぎれのほうではなく、もっぱら「うまそうだ」の連発のほうだ。なぜか知らないがこの俳優さんは、「うまそうだ」と続けないで、「うま、そうだ」と切るのである。舞台俳優だから、演劇的に発語するとこうなるのか。よく知りませんねえ。

「おいしい」じゃ、滝田さんのイメージに合わなかったんだろうな、などと無用のことを考えてくすくす笑いながら、この人の「うま、そうだ」は、いまもぼくの記憶に鮮明である。一芸に秀でることは、グルメ番組の場合も容易ではないのだろう。終わり。
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by natsuki_emura | 2009-09-04 20:23