江村です。粗茶が入りました。


by natsuki_emura
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どうやら、

ピアノのためのひとつの曲を弾くとき、どういうテンポで、どんな表情で弾くかが重大だということは、ピアノを弾く人なら誰でも、先生から耳にタコができるほど言い聞かされたことだろう。このことがピアノ演奏の基礎だということには、ぼくも反対しない。しかしながら、これを自分で試してみると、どういうテンポで、どんな表情で弾くかを決めることは決してやさしいことではなく、「こう弾けばよいのです」というような模範解答もないということを思い知らされる。

ひとつの曲を弾くのに、様々なアプローチの仕方や「解釈」の仕方があると、よく言われる。いろいろなピアニストがその曲を弾くのを聴いていると、こういう弾き方が一般的だという共通項が見えてくることはあるが、誰もかれも好き勝手に、自分のマナーで弾いているように聴こえてくる。そういうことに目や耳を奪われていると、自分はこの曲をどう弾きたいか、かえってわからなくなって、「こう弾けばよいのです」という模範解答が欲しくなり、好みのピアニストの演奏マナーを真似したりすることも、しばしば行われている。

ですが、自分に合ったテンポや表情はそんなに簡単に見つかるものではなく、それを探り当てるには膨大な手間と時間がかかること、自分に合ったテンポや表情が、ほかのひとにも合うとは限らないこと、この辺りは確かなようだ。お手本がないから難しいことは確かですが、自分の演奏マナーは、誰が何と言おうと自分が探して身につけるものだと、さっき思ったので、ここに書いておきますよ。

誰もが同じスタイルの演奏を目指すのは伝統でもなんでもない。人間が複数集まれば共通項があるという一般傾向に過ぎない。そうではなく、自分の演奏というものをみんながやるようになったほうがいいだろう。それをやるから、その人の真価が問われるんであって、才能の質も量も、このことを実行しない限り発揮されない。そんなことでは面白くないじゃないか。伝統というムツカシイものは、みんながそういう努力をしたあとで、さまざまに論議され、展開・継続されるものではないだろうか。
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by natsuki_emura | 2012-04-30 22:43