2005年までは、メモをとったり、自分のサイトに書いたりすることが、目下作業中の作曲やピアノの練習の手段や手掛かりでした。さっきそのころのメモを読み返していました。メモをそのままサイトに掲載することが多かった。身のまわりの関心事を書くことで、自分の成り立ちを確認しているようなことだったと思う。書きながら遊んでもいた。馬鹿ッ話を書き散らすことは気分転換でもあった。
ぼくは携帯電話を持っていないから、ミクシーに誘われてもアカウントが作れなかった。現在は誰でもツイッターやフェイスブックにその日の出来事や、自分の興味関心をごくふつうに書いて、ネット上で友達同士が交流している。それが日常の一部になった。
いま書いているこれはブログに載せるんだけど、もうブログは古いメディアになったのかな。ウェブサイトに載せるアーカイブとなると、かなり本腰を入れて作成した文章や写真ということになってきているようだ。少なくとも、携帯電話などから気軽にアップロードするようなものでは、ありまひぇんえ(ちょっと書いてみたかったんです。気が狂ったわけではありまひぇんえ。)
まー、あんまりむつかしく論じるつもりはないけどね、ざっくり言ってしまうと、ぼくは肉声、人間の声、手書きの文字が好きですよ。メールは便利だから使うけれど、その人のいびきもけっこうですが、その人の息吹が感じ取れる生きた現実がいい。テクノロジーが、その生きた現実をどの程度伝えることができるかというのは、論すれば長くなるだろうから、論じなければ長くならないだろうから、とくに論じようという熱意もないので止しておきます。
しかし、何か言いたいことがあるようだが、どうも言葉にならんなあというもどかしさは、去年の大地震と無関係ではないような気がする。機が熟したら、新たな展望が開けるのではないかしら。どうもそんな気がするんですが、どうでしょうね。