川が流れる村
2012-08-31T22:26:16+09:00
natsuki_emura
江村です。粗茶が入りました。
Excite Blog
残暑が厳しいですね。
http://taiko21.exblog.jp/16075845/
2012-08-31T22:26:36+09:00
2012-08-31T22:26:16+09:00
2012-08-31T22:26:16+09:00
natsuki_emura
未分類
ぼくはいま作曲中で、その関連項目はサイトのほうに書いたから、こっちに続きを書くのはめんどうです。サイトのほうを読んでください。
というわけで、明日から9月だねっ!]]>
「物語」という言葉について
http://taiko21.exblog.jp/15848814/
2012-07-26T11:39:00+09:00
2012-07-26T19:09:17+09:00
2012-07-26T11:38:57+09:00
natsuki_emura
未分類
その意味で、山田咲さんは「物語」に懐疑的というわけだが、アコーディオン奏者の高橋牧さんが江村夏樹のキーワードとして「物語」と言っているのは、さっき書いた「単なるストーリー展開」ということではないだろう。メタ物語、なんていうと、言葉のやかましい使い方になるが、要は、起承転結の羅列にとどまらず、それ以上のものまで含んで、高橋牧さんは「物語」と言っているんだと思う。不可解な要素まで入ってくるのではないだろうか。その意味で、山田咲さんが否定的に使っている「物語」という日本語とは、指している場所が違うと思われる。
二人とも、意味する方向は同じだということになる。だから「物語」という言葉づらに拘泥しないで、ぼくなら「おはなし」という言葉を使うから、そのあたりをつかまえたほうがいいだろう。]]>
何もしていない時間
http://taiko21.exblog.jp/15742896/
2012-07-11T18:36:32+09:00
2012-07-11T18:36:18+09:00
2012-07-11T18:36:18+09:00
natsuki_emura
未分類
朝起きるのが早すぎて眠かったので、この2時間半はベッドでごろごろしていました。
久しぶりに、何もしていない時間を過ごしました。
ここでアップロードしますが、書き加えるかもしれません。]]>
あとかたづけ
http://taiko21.exblog.jp/15666686/
2012-06-29T23:31:00+09:00
2012-06-29T23:39:04+09:00
2012-06-29T23:31:32+09:00
natsuki_emura
未分類
実演と違って、映像はヴァーチャルな性質がある。「そう見えればいい」という性質のことです。裏で何してるか、種を明かせばずいぶんインチキなことをやっていても、DVDに焼いてテレビの画面に映ったその像に不自然さがなければ、それでいいわけですよ。このヴァーチャルな性質をめぐって、この10日ほど、いろいろ考えるところがあった。詳細は明日にでもサイトのほうに書こうと思います。テクノロジーの恩恵などと夢のようなことは言っていられなかったよと、この場を借りてこっそり白状しておきます。
食品だったら、製造過程で変なことをしたら消費者が食中毒を起こす、というような事情がある。映像メディアだからいいかげんに作っていいということにはならないが、「絵に描いた餅」だから、許してもらうことにしよう。このほかに、ちょっと論議や考察を要するような思いつきを今後どう展開するか、考える、というような後片付けも含まれている。少し時間がたたないと言語化できない、あるいは、よく考えて書かないと内容が伝わらない、というアイデアが浮上してきた。コンサートをやってみてどうだったか、ということだが、このブログには収まりきらないので、サイトに掲載しようと思います。]]>
肉声
http://taiko21.exblog.jp/15461124/
2012-05-31T23:32:53+09:00
2012-05-31T23:32:33+09:00
2012-05-31T23:32:33+09:00
natsuki_emura
未分類
ぼくは携帯電話を持っていないから、ミクシーに誘われてもアカウントが作れなかった。現在は誰でもツイッターやフェイスブックにその日の出来事や、自分の興味関心をごくふつうに書いて、ネット上で友達同士が交流している。それが日常の一部になった。
いま書いているこれはブログに載せるんだけど、もうブログは古いメディアになったのかな。ウェブサイトに載せるアーカイブとなると、かなり本腰を入れて作成した文章や写真ということになってきているようだ。少なくとも、携帯電話などから気軽にアップロードするようなものでは、ありまひぇんえ(ちょっと書いてみたかったんです。気が狂ったわけではありまひぇんえ。)
まー、あんまりむつかしく論じるつもりはないけどね、ざっくり言ってしまうと、ぼくは肉声、人間の声、手書きの文字が好きですよ。メールは便利だから使うけれど、その人のいびきもけっこうですが、その人の息吹が感じ取れる生きた現実がいい。テクノロジーが、その生きた現実をどの程度伝えることができるかというのは、論すれば長くなるだろうから、論じなければ長くならないだろうから、とくに論じようという熱意もないので止しておきます。
しかし、何か言いたいことがあるようだが、どうも言葉にならんなあというもどかしさは、去年の大地震と無関係ではないような気がする。機が熟したら、新たな展望が開けるのではないかしら。どうもそんな気がするんですが、どうでしょうね。]]>
どうやら、
http://taiko21.exblog.jp/15180030/
2012-04-30T22:43:00+09:00
2012-04-30T23:35:05+09:00
2012-04-30T22:43:17+09:00
natsuki_emura
未分類
ひとつの曲を弾くのに、様々なアプローチの仕方や「解釈」の仕方があると、よく言われる。いろいろなピアニストがその曲を弾くのを聴いていると、こういう弾き方が一般的だという共通項が見えてくることはあるが、誰もかれも好き勝手に、自分のマナーで弾いているように聴こえてくる。そういうことに目や耳を奪われていると、自分はこの曲をどう弾きたいか、かえってわからなくなって、「こう弾けばよいのです」という模範解答が欲しくなり、好みのピアニストの演奏マナーを真似したりすることも、しばしば行われている。
ですが、自分に合ったテンポや表情はそんなに簡単に見つかるものではなく、それを探り当てるには膨大な手間と時間がかかること、自分に合ったテンポや表情が、ほかのひとにも合うとは限らないこと、この辺りは確かなようだ。お手本がないから難しいことは確かですが、自分の演奏マナーは、誰が何と言おうと自分が探して身につけるものだと、さっき思ったので、ここに書いておきますよ。
誰もが同じスタイルの演奏を目指すのは伝統でもなんでもない。人間が複数集まれば共通項があるという一般傾向に過ぎない。そうではなく、自分の演奏というものをみんながやるようになったほうがいいだろう。それをやるから、その人の真価が問われるんであって、才能の質も量も、このことを実行しない限り発揮されない。そんなことでは面白くないじゃないか。伝統というムツカシイものは、みんながそういう努力をしたあとで、さまざまに論議され、展開・継続されるものではないだろうか。
]]>
雪が降りました。
http://taiko21.exblog.jp/14771077/
2012-02-29T21:12:55+09:00
2012-02-29T21:12:53+09:00
2012-02-29T21:12:53+09:00
natsuki_emura
未分類
お正月から2ヶ月、寒さもここまで徹底すると、ぼくは恒温動物ではなく変温動物になっています。困った天気である。用事がなければ、外に出ません。最低必要な買い物に出る程度である。ところで幼児は、楊枝に用事があっても用心が肝心である。楊枝は、先が尖っていて危ないからです。くだらんしゃれはよしなしゃれ。
わりと大規模に部屋のゴミ拾いをしたんですよ。ヒマだったからではありません。何がきっかけで始めたのか、忘れましたが、とにかくある程度機能的な部屋になりました。
確か2000年の夏ごろ、知人から中古のステレオチューナーをもらって、毎日朝6時に起きてNHK・FMのバロック音楽を、「1981年ごろ3万円で買ったカセットデッキで録音していた」。いつからか、このチューナーもカセットデッキも使わなくなり、ほったらかしておいたんですが、数日前、6年振りぐらいで動かしてみたら、使えるようである。機械はしっかりしたものを買っておくべきだと思いました。30年前に買ったカセットデッキで、12年前に録音したバロック音楽のテープを聴いて楽しんでいます。センチメンタルな懐古趣味でもないですよ。使えるものは使っていていいんじゃないでしょうか。
雪が降ったことは、雪が降ったと書いておけばわかりますから、そのほかはてきとうなことを書きました。
明日から3月です。]]>
謹賀新年
http://taiko21.exblog.jp/14329974/
2012-01-04T23:49:48+09:00
2012-01-04T23:49:47+09:00
2012-01-04T23:49:47+09:00
natsuki_emura
未分類
例年よりも短いお正月だと言われているが、新年4日から営業開始といっても、街もひとのアタマも、半分寝ボケているんじゃないでしょうか。
紅白歌合戦は大半、寝転がってラジオで聴いていたが、「超ミニスカートで美しい脚をアピールします」などというアナウンスが耳に入るとテレビの前に飛んで行きました。まあそういう種類の興味だけでは5時間も持ちませんから、つまらんところははしょってつきあっていました。脚線美をアピールするのに何で歌をうたって踊るのか、関係がよくわかりませんが、ほろ酔いで、こういうことをいちいち分析しないのが大晦日の特典とも申せましょう。男は視覚の動物。四角い動物じゃないよっ。
うちのまわりは実に静かな新春で、人も車もほとんどいませんでしたが、初詣でに出かけたら、ざっと見て、去年の倍ほどの人であふれていた。元日の午後3時半ごろです。今日、その神社のすぐそばに用があって出かけたが、参拝客と思われる老若男女が列を作って歩いていた。お年寄りだけでなく、若年層も混ざっていたということです。人口の多さで言えば、今年はナンバーワンではないか。
毎年、初詣でに行くと神楽太鼓が鳴っていて、おじいさんたち(神主さんです)がお祓いをしてくれます。高感度のいいおじいさんを見つけたので、ここ数年はこのひとにお祓いしてもらってますが、91才とのことで、新年からおつとめ御苦労さまです。
すこしゆっくりしてみよう。去年の秋あたりからそう思い始めたので、日常、今年も引き続き「ゆっくり」を考えます。
ひとまずこのへんでアップしますね。]]>
12月31日
http://taiko21.exblog.jp/14295695/
2011-12-31T16:35:59+09:00
2011-12-31T16:35:59+09:00
2011-12-31T16:35:59+09:00
natsuki_emura
未分類
DVDを1週間ほどかけて作って、友達に渡したあとで、1か所、音声にクリックノイズが乗ってることがわかった。これをどうにか取り除きたいから、きのうはそのノイズの由来を調べて、だいぶ苦闘して可能性をひとつに絞った。プロ用機材も持ってないし、映像の編集なんて勉強したこともないから、しろうとが手探りでやっているんですよ。だいぶ苦肉の策である。音声の一部入れ替えは、技術的にそれほど面倒なことはないが時間がかかるし、くたびれる作業だから、大晦日の今日やるのはやめましょう。年が明けてからにしよう。
天皇陛下もおっしゃっているように、今年はなんだか「つれえ1年」だった。ながく記憶に残る1年ということでもある。言葉にならない苦労というものがかなり膨大だったんじゃないでしょうか。
9月からひと月ほど、作曲をやった。きのう、そのときのメモを見て、書かずに捨てた、つまりモノにならなかった楽想のこま切れが、最終的に形になった曲とは全然関係のないことだったりして、それはそれで面白い。曲ができた軌跡をたどると、ずいぶん蛇行している。脇道へそれるということも必要なのでしょうね。
この年末は、ジェイコブ・ドラックマンというアメリカの作曲家の曲を聴いていた。日本では知名度が低いこの作曲家についてなにか書きたいが、たぶん長くなるので、年が明けてからにしよう。
自分的には、今年は確かに「つれえ1年」には違いなかったが、それなりに充実していたと思う。焦らず邁進しましょう。
そういうわけで、今年もあとわずか。
来年も元気でいい年にしましょう。]]>
ラーメン屋のトイレ
http://taiko21.exblog.jp/13912125/
2011-10-31T06:00:00+09:00
2011-10-31T06:05:08+09:00
2011-10-31T06:00:01+09:00
natsuki_emura
未分類
この店のトイレに入ったのは初めてだったと思う。そうしたら、目立つところに、
当店のトイレを
きれいにお使いいただきまして
ありがとうございます。
という張り紙がしてあるのが飛び込んできた。さすがだと思いました。「備え付けの紙以外を流さないでください」というように、なにかを「しないでください」と書いていないところに感心しました。出先であちこちのトイレに入るが、こんな懇切な貼り紙が出ていることはめったにない。胸のすくような心配りである。
坦々麺も接客もよくて、すがすがしい気持で店を出た。
]]>
わけがわからないこと
http://taiko21.exblog.jp/13815904/
2011-10-15T21:09:21+09:00
2011-10-15T21:09:21+09:00
2011-10-15T21:09:21+09:00
natsuki_emura
未分類
心当たりのある人も多いと思うが、ぼくたちはいろんな教育の現場で、わからないことがあったら調べたり勉強したりして、わかって説明できるように方向づけられたことが多いはずである。わからない、というと叱られたりした。ものがよくわかることが優秀、というひとつの価値だったことは多いのではないか。
もちろん、ある事象について筋の通った説明ができること、筋道に従って論理的に物事を理解する能力はどうしても必要ですよ。見渡す限り不可解な世の中ではたまったものじゃない。しかし、だからこそ、わからないということに対する一定の理解が必要なのだと、あえて言いたい気がする。それを、このブログに書きつけておこうと思いました。
これで思い出したことがある。「非文」というのは論理言語学の用語で、いかにも文章のように文字が並んでいるが、読んでみると意味がわからない、つまり文章になっていない文字の列、のことだそうです。
ある文字列が文章でないことは、感覚的には容易にわかる。正しい言語感覚の持ち主なら、その文字列の意味するところがわからないということがわかるわけです。
しかし、「ある文字列が非文であることは証明できない」ことがすでに証明されている、のだそうで、つまり、その文字列が非文かそうでないかは、理論的に判別することができないということです。
もし、その非文を使ってコミュニケーションができるような集団があったら、ほかの集団とは意思の疎通ができないことは容易に想像できる。わけがわからないことは、わけがわからない。つまりそういうことになります。
しっかりした言語感覚は、筋の通った論理に裏打ちされている。
しかし、現実には「わからないこと」が複数存在するので、ぼくたちはときどきアタマが混乱したりしますね。そんなとき、その「わからないこと」を分析して理解しようと思ったって、そもそもわからないことは分析できない。「理解しにくい」と言ってもいいかもしれない。小椋佳さんは、その、わからないことの世界があることは大事だと、小学生に入れ知恵したんですね。
この主題をめぐっていろんな話ができるが、今日は、これに対するぼくの興味を提示するにとどめて、この雑文を締めくくることにします。]]>
1枚の写真。
http://taiko21.exblog.jp/13724294/
2011-09-30T23:19:34+09:00
2011-09-30T23:19:33+09:00
2011-09-30T23:19:33+09:00
natsuki_emura
未分類
今月はブログを書かなかったけど、サイトで雑談しましたんで、寄ってください。
んじゃー、来月!
]]>
夢
http://taiko21.exblog.jp/13320695/
2011-08-19T17:59:00+09:00
2011-08-19T18:07:03+09:00
2011-08-19T17:59:31+09:00
natsuki_emura
未分類
断っとくけど、ぼくに覗きの前科はないよ。あったって男便所なんか覗くもんか。しかし、その、便器にまたがった後ろ姿は壮年あるいは中年で、夢の中ではぼくの旧知という設定になっていた。知人の用足し中なんか見たいわけがない。
それを、リアルに、実にリアルに見て、嘆息して目が覚めた。まあ、夢ですからね。自分の思い通りにはならないんだけど、おもしろくもなんともない光景でしたよ。実際、今まで、スカトロジーが夢に出てくることじたい、なかったとは言わないけど、今日ほど現実的に表れたのは初めてで、当惑するというより、迷惑しているんです。
心理学的に意味を探れば、きったねー見てくれとは裏腹に、この夢は、かえって、なにか吉兆を暗示しているかもしれない。仮にそういう可能性があったとして、なんで中年男の大用なんですか。
2日前の夢では、ぼくは中国の図書館で日本の古文を読んでいた。ずいぶん難解な古文で、中国人の男子学生と会話をしたんですが、もう少しやさしい、竹取物語とか、方丈記とか、そのへんを勧めた記憶がある。ぼくは中国語がしゃべれないのに意思疎通ができている。楽しい気分で目が覚めた。
問題のスカトロジーの夢で気分を損ねたとまでは言わないよ。
なんなんでしょうね、いったい。]]>
法隆寺の百済観音
http://taiko21.exblog.jp/13283499/
2011-08-14T20:19:37+09:00
2011-08-14T20:19:38+09:00
2011-08-14T20:19:38+09:00
natsuki_emura
未分類
ぼくが法隆寺に行ったのは1997年の晩秋だったが、そのとき、百済観音は東京に運ばれて、法隆寺にあったのは同じ大きさのレプリカだった。
まあ、ぼくはあの旅行で当麻寺を訪ねて、大きな感動を覚えたから、法隆寺に百済観音がなくても、あまり気にならなかったのですがね。
これを「くだらない話」と名付けたらどうだろうか。]]>
音楽で遊ぶこと
http://taiko21.exblog.jp/13031052/
2011-07-06T07:52:00+09:00
2011-07-06T07:55:17+09:00
2011-07-06T07:52:15+09:00
natsuki_emura
未分類
ぼくはこれを聞いて、自分の思春期も同じだったなと思いました。モーツァルトやシューベルトのような古典曲を弾くのも聴くのもあまり興味がなく、20世紀クラシックが好きで、その代表がプロコフィエフとバルトークだった。
考えてみると、プロコフィエフやバルトークの音楽は、高級な遊び道具だったわけで、ルネさんと話しながら、ぼくも20世紀クラシックに接するときにはとても楽しかったことを思い出しました。
実際には、とくにプロコフィエフのピアノ曲なんか、プロもてこずる難曲で、学童期にルネさんやぼくが弾けたのは、こうした作曲家たちが書いた、比較的やさしい曲だったというのが現実だ。ルネさんが何を弾いたのか、確かめていないが、きっとそうだろう。
しかし、そういう曲を弾いておもしろかったし、はっきり「遊び」という意識があったかどうか、そんなに自覚的ではなかったと思いますが、結果としてそれは遊びになっていたんだと思いますよ。
心ある芸術家ならよく知っているように、遊ぶことは難しい。ある段階で、この問題が浮上してくる。大きな問題ですけれどね、難曲を相手取っても、遊び心を忘れないようにしたい。
ルネさんとは、それほど長く話し込んだわけではなかったが、大事なことを思い出させてくれました。]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/